藍と藍
「かぜつち模様染工舎」と「藍染工房 亞人」

今年、「工房からの風」は20回目の記念展となります。
メインビジュアルは、大野八生さんのイラスト。
5回目からお描きいただいていますので、16回目のイラストとなります。

今回のイメージカラーは「藍色」です。
藍色には、私たちの想いを寄せました。
それは、「工房からの風」の会場の一部「ニッケ鎮守の杜」で2003年から藍を育てていること。
そして、毎夏、藍の生葉染めのワークショップを重ねてきたことからです。

爽やかな生葉染めの淡い藍色と、
染め重ねることで深まる濃い藍色。
時と営みを重ねて迎えた20回展にふさわしいイメージカラーで今展をお届けしたいと思っています。

この藍色を掲げた20回展に、藍染めの作家が2工房出展くださることになりました。
これも天(展?)の祝福でしょうか。
真剣にものづくり、藍染めに取り組む姿勢が眩しい、若き作り手をご紹介します。

かぜつち模様染工舎

南馬久志 正藍染

静岡県伊豆半島の中央部で、正藍染を行う南馬久志さん。
正藍染とは 蒅(すくも)を、灰汁(あく)で醗酵させて染め液を作る、日本古来の藍染めとのこと。
ちなみに蒅とは、藍の葉を堆肥状に発酵させたもので、ここで使われるのは、タデ科のタデ藍。
 
今回ご紹介するもうひとつの工房「藍染工房 亞人」が用いるのは、キツネノマゴ科の琉球藍ですので、植物自体が異なります。
けれど、種は違えど葉の中に「インディガン」という成分を含んでいることで、それぞれ藍染めを行えるのです。

南馬さんは2018年夏、藍染めに打ち込もうと、静岡県伊豆市に移り住みました。
1983年兵庫県に生まれ、学校や仕事の場を関西に過ごしてきたひとの新天地でした。
 
服飾、ファッションを学び、20代前半は京都で手捺染の仕事を、後半は奈良で環境負荷に配慮をした染織会社の企画室で精一杯に働いてきた南馬さん。
その折々で、すばらしい方々と出会い、導かれてきたといいます。
糸、布にまつわる仕事に携わりながら、糸が何から生まれてくるものなのか、そして、糸や布を染める色の意味や成り立ちについて、一っ飛びではなく、時を得て知り、感じ、考え、今の藍染めに向かっていきました。

発酵と関わりながら行う藍染めは、刻一刻と移り変わる自然と共にあります。
同じ日が二度とないように、染めの環境も日々異なり、公約数的な正解はないことでしょう。
経験を積み重ねながら、日々新鮮な想いで染め続けていくことが制作の柱なのだと思います。
 
藍色を追求し続けることと共に、南馬さんは文様に藍染めを活かすことも進めています。
「かぜつち模様染工舎」という工房名に、その想いが表れています。
 
日本で古くから作り、使われてきた伊勢型紙を用いて、藍を染めた布。
文様と藍の色が響き合い、現代を生きる人の心、日々にどのように提案していけるのか。
その想いの先に、150㎝幅の生地を染めることを叶えた南馬さん。
従来の藍染めでは反物の幅までが染めものの基準でしたが、着物の幅ではなく、洋服やインテリアの布に使ってもらうための制作を展開しています。

「人に優しく、土に還るテキスタイルを追求していく」
自らの手を十全に生かすとともに、関わる人々の手を尊重し、結び合いながらのものづくり。
服飾、繊維業界に携わっていたからこそ叶えられる人の輪を活かした取り組みも「かぜつち模様染工舎」の可能性のひとつです。
 
「息子のおくるみを藍で染めた」ところから、作品発表に向かった2020年。
時はコロナ禍が始まり、展示発表が厳しい時代を迎えていました。
しばらく続いた発表形態の模索の日々から、ようやく新たな出会いの日々へと向かいます。
「工房からの風」も、ぜひその追い風となることを願っています。

かぜつち模様染工舎
南馬久志

服飾学校の卒業制作でデニムを脱色させたときに、
色や素材の変化に興味を持ち、京都の染屋で修行を決意。
そこからどんどんと時代に逆走するように進み、
今は江戸時代頃の技法に習い、正藍型染の技術を得ようと研鑽中です。
たまに古代の職人に思いを馳せながら、
ニヤニヤしたり、他の気の合う職人や同志とくだらない話をしては
美しく、堅牢で、循環の輪に入るようなテキスタイルを日々考えています。

画像提供:かぜつち模様染工舎
文:稲垣早苗

藍染工房 亞人

早瀬 泉 琉球藍

1989年沖縄県に生まれた早瀬泉さんの藍染めへの道は、トライ&エラーの中でたくましく切り拓かれてきたものでした。
 
有機農業を生業とするために沖縄へ移住してきた両親のもとに育った泉さん。
アート系のものごとに関心を持ちながら、10代後半から20代前半は、さまざまな学びや仕事の中に、自らの道を模索してきました。
両親が開いた土地を活かすことを考えるタイミングの時、沖縄の藍染めに挑戦しようと思いたちました。
農業の奥深さや真の豊かさを感じていたからこそ、琉球藍を栽培し、その恵みでのものづくりに進むことは、ようやく出会えた必然だったのかもしれません。
 
初めは挿し木10株。
琉球藍は種蒔きではなく、年二回の挿し木で増やしていきます。
ひたすら株を増やすために打ち込んだ農業。
藍染めに取り掛かれるようになるまでに3年の月日が流れていました。

琉球藍での染め方は、タデ藍での藍染めとは異なります。
収穫した藍の葉を水に浸けて発酵させると独特の匂いが放たれてきます。
腐敗の手前、発酵のピークに葉を取り出し、色素水を作り、そこに石灰を加えて攪拌すると、独特な臭気は消えて、泥藍ができます。
 
まさに生き物である泥藍に元気よくいてもらうために、ガジュマルの木灰汁でpHを整えながら、ハチミツと日本酒を塩梅しながら世話をしていきます。
藍の栽培から、泥藍作り、染色まで。
 
それは、身の回りにあるさまざまな微生物や有機物との関わりから作られていくもの。
藍染めを続けるほどに、有機物のひとつでもある人間同士の繋がりや、社会のあり方についても考えを深めるようになっていきました。

ようやく染めを始められる段取りが整った頃に、泉さんは二人目の出産を迎えました。
産休、育休、そしてコロナ禍。
外に向かっていく機会が失われた中で、泉さんならではの染めへの模索は続きました。
自由なセンスを生かしたバッグや多様布の他に、身近にある梶の樹皮を使ったオヴジェ。
自然と共に進める素材づくりと、その先の創造。
日本画家であった祖父、酒井亞人の名前を工房名に掲げ、泉さんの藍染めのかたちは、始まったところです。

藍染工房 亞人
早瀬 泉

1989年 沖縄県北部今帰仁村で生まれる。
18歳から村を出て紆余曲折しながら子育てのために今帰仁村に戻る。
山間部の素晴らしい環境を活かせないかと、農的な生産かつビジュアル的なアウトプットが実現出来る琉球藍の栽培を始める。
(同時に藍のシェードツリーにもなる梅の栽培や、堆肥の元になる山羊も飼い始める。)
今年は初めての植え付けから7年目。
背景がしっかりしている生地を使わせていただいた作品や、
より循環的な作品を目指し、採取した樹皮を叩き染色したオブジェなどを作っています。
2022年 高岡クラフトコンペ入選

画像提供:早瀬道生
文:稲垣早苗