director's voice

今日も作っている hada makoto(木彫)

今展より6名の作家から寄稿いただきました。
「つくるひとの手−工房からの風景」

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私は作品を作るが、 本当に作っているのは 「もの」 なのか。

出展し始めた頃に、 同じ方と別のクラフトフェアでお会いし、 その時の会話が印象深く残っている。
一度目にお会いした後、 ご自身の誕生花を調べられたそうだ。
私のいないところで作品をきっかけに、 目の前の人は 「調べる」 という行動を起こした。
何か一つ気づくと見え始めるものがあるように、 会話の一つやささやかなことでも、 作品がきっかけで何かが起きることは嬉しい。
作品の先にあることを垣間見た。

モチーフを決める時に 「好き」 だけではない軸になるものを求めた。
好みとは別でつながるもの。
花は花でも 多年草になった背景。
もともと多年草をよく育てていた。
でもかまいすぎやうっかり放置で枯らすことが多かった。
多年草であっても次も花を見られることは当たり前ではなかった。
これが人との出会いに通じるものを感じた。

クラフトフェアは時期がほぼ決まっている。
それを開花時期と捉えて、 フェアを土に、 作品を花と捉えてみた。
繰り返し咲くことは当たり前ではない。
その中で出会うこと。
再会もあり得ること。
これはまた咲く花になり得て、 持ち主と作品にまた会えるものかもしれないと思った。
育てなくても、 街中に多年草はある。
見慣れた景色の中のその存在に気づくか否か。
それは何をもたらすのか。
毎月祖父の月命日に行くが、 家からお墓まで半分以上が上り坂。
ラストは猛烈な激坂。
しんどくて俯きながら進んでいるとアスファルトの割れ目の花に気づいた。
しんどくてもかわいいに気づいて笑った。
ちょっと元気をもらった。
また 歩き出して少ししてから、 モチーフにしたことある花だったかも、 とまた笑った。

気づいた。
本当に作っているものは、 ちゃんと応募用紙に書いていた。
「見慣れた景色を改めてたのしめるような毎日」 で 、
「手に取って下さる方がいて完成していくような作品」。
私一人で完成しないものを今日も作っている。