director's voice

加藤キナさんより

「工房からの風」が終わって2週間。
なんだかもっと時間が経ったような気がします。

出展作家の方々も、それぞれの日常、お仕事に戻られている頃ですね。
私の方はといえば、いつになく今年は終了後から来年に向けて、
さまざまな方たちとお会いする日々が続き、気持ちが次に向かっています。
来年の要綱なども整えて、遠からずご案内したいと思います。

「風の余韻」。
出展作家からのお便りをご紹介する「凪ぐ浜の宝もの」。
たくさんのお便りを寄せていただいていますが、
どれも公開前提ではなく私信ですので、
掲載確認をいただきながらこちらにお載せしています。

ゆっくり、皆さんに風の余韻を味わっていただければ、、、
そのような想いもありますが、
余韻というだけではなくて、凪ぐ浜の宝ものが、
これからの作り手にとっても何か心の栄養になったなら、、、
そんなことも思いながら、もうしばらく続けたいと思います。

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おりひめ神社の後方で展示されていた加藤キナさん。
ご夫婦でバッグづくりをされています。
少し時間をおいて、丁寧なメールをいただきました。

わたしは、物をつくることともうひとつ、同じくらいに好きな事があります。

それは、文字を書くということ。

わたしにとって言葉は、芸術であり、美しさ。
その人そのものを表すものだから、矯正されたような文字には魅力を感じません。
その人となりが表れた文字を見ると、心が弾む。

だから、自分でも文字を書くときは心を込めます。
一文字ひと文字、呪文のように、おどるように・・・

でもこの何年か、文字は書いていても 言葉を書いてはいなかった。
自分のことばで歌うのを、やめてしまっていたのです。
人の前で、素直なこころの歌をうたうのが、こわくなっていたのです。

きっかけもあり、自分という人間に自信を持てなくなっていたのだと思います。

それから何年か、私も人並みに色々と経験することになり、
口はひとつで、耳はふたつ。
話すよりも、まず人の話を聞こう・・・と感じるようになっていきました。
謙虚さに、うつくしさを見いだしはじめたのかもしれません。
実際、自分の話よりも、人の話を聞いている方が数段楽しく過ごせました。

そんなある日、ある舞踊家の踊りを見にいく機会がありました。
深い静かな湖のようなその人は、還暦がすぎてふと思ったそうです。
「自分はダンスですべてを伝えられると思っていたけれど、はたしてそうなのであろうか。
コトバも時には必要なのではないだろうか・・・」

はっとなりました。
ことばの葉が、ひらりと1枚 わたしの心に落ちてきたようでした。

数ヶ月後、工房からの風に出展が決まった私は、
封印していた自分のことばと向き合うことになったのです。

多くの作家さんが、自分の持つ歌声で、見事な音色を奏でていました。
作家さんだけではありません。
この展覧会にたずさわる人それぞれが、自分のことばで歌っていました。

私も、自分のこころの中、深く深くに湧いていることばの泉を、覗いてみてもいいのかもしれない・・・
そんな風に思えるようになった頃、1通のハガキが届きました。

よく滑るブルーブラックのインクで書かれたその文字は、
羽根のように軽やかに・・・

風とともに歩んできたその人は、羽根のような文字をもつ、風を宿した人でした。

ただ、生きるのではない。
どう生きるのか。

私たち夫婦が作り出せるモノの数は、限られている。
だとしたら、いったい何がつくりたいのか・・・
どんな歌を紡いでいきたいのか・・・

工房からの風で、数をつくるのではなく、自分たちが納得のいくものを作り並べました。
そして、その想いは、多くの方につたわりました。

「欲張らない」
これは、工房からの風が毎年50組の限られた出展者しか参加できないことにもつながっています。
あれだけ密に、作家ひとり一人と向き合っているのだから。

「欲を張らない」
自分の置かれた場所をよく見て、自分のできる範囲で充分な仕事をする。

この先、この学びを忘れないように。
吹いてきた風を クルクルと少しちいさくコンパクトにして、いつでも心から取り出せるように。

風はこれからも密やかに、私と一緒に歩んでくれそうな気がします。

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やっと、こころにあった言葉をすくいあげることができました。

工房からの風は、私の中でほんとうに大きな学びの場となりました。
ありがとうございました。

キナさんたちとは、今年初めてお会いしましたが、
「工房からの風」には、数年前から来場くださっていたとのこと。
満を持して?応募くださったようですね。

言葉とものづくり。

言葉はものづくりになくてはならない、
とは思っていませんが、
と、同時に、言葉がものづくりに必要ない、
とも思っていないのです。

ものを作る人の中に、たしかに生きた言葉を綴る人がいる。
という事実があって、そのことを大切にしたい、
ただ、そう思っています。

キナさんたちが、今展を通して上記のような熟した言葉、文章を綴られたのは、
想いが豊かに実って、自然に言葉となって弾けだしたのですね。

言葉とものづくり、が、どちらかを補うためのものではなくて、
どちらをも豊かに育むものであるように。

加藤キナさんからのお便りは、そんなことを伝えてくれました。