塗師、赤木明登さんと、
今展ディレクターの稲垣早苗のお話し会を開きます。
10月18日日曜日
12時~13時
「ニッケ鎮守の杜」内「galleryらふと」前
40席をご用意いたします。
他はお立ちになられてのご参加となります。
11時45分よりお席にご誘導いたします。
お席をご希望のお客様は、
11時45分より前に「galleryらふと」前に
お越しいただくことをおすすめいたします。
尚、天候や混雑の状況によって、
当日ご案内の変更がある場合がございます。
あらかじめ、ご了承くださいませ。
赤木明登 あかぎ・あきと
塗師
1962年岡山生まれ
中央大学文学部哲学科卒業、編集者を経て、
1988年輪島へ
輪島塗の下地職人・岡本進のもとで修行
1994年独立
現代の暮らしに息づく生活漆器=「ぬりもの」の世界を切り開く
1997年 ドイツ国立美術館「日本の現代塗り物十二人」展
2000年 東京国立近代美術館「うつわをみる 暮らしに息づく工芸」展
2010年に岡山県立美術館「岡山 美の回廊」展
2012年にオーストリア国立応用美術博物館「もの 質実と簡素」展に招待出品
著書に
『漆 塗師物語』〈文藝春秋〉
『美しいもの』『美しいこと』『名前のない道』〈ともに新潮社〉
共著に
『茶の箱』〈ラトルズ〉
『毎日つかう漆のうつわ』「能登ごはん便り」〈新潮社〉
「形の素」(美術出版社)など
各地で個展を開くほか、「ぬりもの」を常設展示しているお店を全国にもつ。
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季刊「住む」に赤木さんが連載中の
「名前のない道」。
その中で、「クラフトフェアはいらない?」
という刺激的なテーマの連載がありました。
その3回目の連載時、稲垣あてに
インタビューのご連絡をいただいたことが
今回のトークイベントのきっかけのひとつです。
このことについて綴った稲垣のブログはこちらです。
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→ click 2
続きは、また。
と、書きながら、すみません!続きが書かれていませんでした。
けれど、忘れたわけではなくて、
いやむしろ日々そのことを考えながら、
話し合う機会を多くの方々と持ってきました。
クラフトフェア云々を定義したり、是非を問うことを超えて、
「次のことを考える」
ことに向かっています。
そのこととつながるお話しができたらいいな、
と思っています。
赤木さんご自身は、お話しの抽斗がたくさんある方ですし、
特に「この話をしよう」と決めて来られないかと思うので!
私が何をどのように引き出せるか、、、ですね。。。
このことも、ずっとぐるぐる考えておりました。
赤木さんのお話しということで、
さまざまな角度から関心を寄せられる方が多いので、
どなたに向けて、という焦点も持ちたいと思いました。
ぐるぐる考えたときは、原点に戻ることですね。
そうなると、「工房からの風」は、
新鮮な工芸作家が世に出る機会を作りたい。
そのことを喜び、応援する方たちの集う磁力を高めたい、
ということが根っこですから、
そのことに滋養となるようなお話しをしたいと思っています。
日曜日、おりひめ神社を前にしたウッドデッキの上から、
工芸にまつわる「次のことを考える」お話し、
お届けしたいと思います。
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以下は、赤木さんと稲垣とのご縁を少し振り返ってみます。
長くなりますが、ご関心のある方はどうぞお読みください。
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赤木さんとは同い年なのですが、
その存在を知ったのは、1988年、25歳の時のことでした。
私が俳句修業のために金沢に1年半滞在して千葉に戻ったあと、
東京から能登に家族連れで輪島塗の修業に行った人がいる、
と友人から聞かされたのです。
それは大学時代の親しい友人で、
赤木さんと同じ出版社に同期で入った人でした。
すれ違ったけれど、同じようなことを考えて行動する人がいるんだなぁ。
と、その塗師修業に輪島に行った人のことは、とても心に残っていました。
1995年
玉川高島屋で開かれた「現代の道具展」という企画展に、
夫の稲垣が参加して、その印刷物の撮影が我が家で行われました。
その時、なんとも美しい漆のお重が撮影用に届いていました。
聞けば輪島で独立したばかりの作家で、元編集者なのだといいます。
ああ、あの人だ、もうこんなに素敵な作品を作られるようになったんだ!
と、なんだかとても嬉しい気持ちになったのでした。
1996年
上記の展覧会がきっかけでお会いできた赤木さんにも加わっていただき、
ニッケコルトンプラザのコルトンホールで企画展を開きました。
「工房からの風-新鮮・三十代・作り手たち」
というものです。
そう、タイトルは「工房からの風」の原型。
自分と同世代のこれからの作家を集めて展覧会を開きたいと思ったのでした。
その時に、初めて小冊子を編みました。
(当時は原稿がすべて手書きで、
寄稿いただいた原稿を書院というワープロに打ち込んでいました。
レイアウトも自分で行い、フロッピーで印刷所に入稿したことを覚えています。
そんな時代です(笑))
その時、赤木さんが書いてくださった
「思う力」という文章はとてもすばらしいものでした。
赤木さんの著書「美しいもの」の序章に一部引かれてありますので、
お手元にある方は、ぜひお読みいただければと思います。
1997年
「工房からの風-五行五感」という企画展を
同じくコルトンホールで行いました。
その時は、赤木さんに文章をもっと書いてほしくて、
赤木さん特集号?のような小冊子となりました。
1998年
「チルチンびと」という雑誌に、
「作り手たちの暮らす家」という連載を稲垣が行っていました。
その3回目の号で赤木さんを取材させていただきました。
赤木さんの暮らしぶりや生き方に触れた
最初の記事だったと言われた号でした。
その後、作品のお取り扱いは続けさせていただいてきましたが、
大きなことをご一緒する機会は少なくなりました。
赤木さんは人気作家となってお忙しくなってきましたし、
私はこれから世に出ていく作家を応援する仕事を軸に動いていましたから。
振り返れば、ちょうどその期間が
「生活工芸」とのちに呼ばれるようになった動きの隆盛期だったのですね。
「生活工芸」の定義というか、私の感じていることをここに簡単に書けませんが、
一時期、ある特定の作家たちが集中して雑誌媒体に載ったり、
全国の力のあるギャラリーやショップが競うように展覧会をしていた時がありました。
そういうパッションについていけない、、
というか、ついていく必要を私が感じなかったのです。
企画者は、本当にその作家をよいと思っているのだろうか?
思っていたとしても、その人たちだけなのだろうか?
まるで流行を追うような雰囲気から遠くにいたい、
という気持ちと、すでに活躍している作家を奪い合うよりも、
新たに表れてくる新鮮な作家を探して添うことを仕事にしたい、
という気持ちだったのでした。
そしてその期間が、所謂「クラフトフェア」隆盛期へともつながっていくのですね。
「工房からの風」も、望んだわけではありませんが、その只中にあったのでした。
その間、私自身、新しい作家との仕事に力を注ぎましたが、
一方で、仕事に深さが欠けていったような気もします。
工芸にまつわる世界には、もっと深くて豊かな世界があることを感じていながら、
その方向に力を注げていない飢えたものがあったのでした。
そんなとき、「クラフトフェアはいらない?」の取材の件で、
赤木さんと久しぶりにお話しする機会を得たのでした。
赤木さんの存在を知ってから四半世紀が過ぎたんですね。
40代は、それぞれのベクトルで仕事をしてきて、
50代に入って、「次のことを考える」ことを
こうしてお話しできること。
とてもありがたく、不思議な巡りあわせも感じています。
そしてそのことは、もちろん私一人のことではなくて、
「工房からの風」というささやかだけれど、
ある磁力を持った場所で出会えた人たちとともに
考えていこうと思っています。
これはこの五月、galleryらふとで
数名の作家を交えてお話しをしたときの光景。
最初は緊張していた若い作家の方々でしたけれど、
こうした場面を重ねながら、
工芸を巡っての次のことを考えていきたいと思います。
と、長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました!
日曜日、豊かなお話しを引き出したいと思います。