一次募集20日まで
2019年の工房からの風への出展作家応募受付中です。
12月20日必着。
今回は一次募集期間です。
一次で出展が決まると、来年の予定が立てやすくなって、制作がより進むことと思います。
また、一次で選考不通過の方で、二次で選考に通って、
本展でとてもよい結果を出す方もいらっしゃいます。
一次応募の段階で一度制作について考え、不通過の際にまた仕事を見つめ直し、
あらためて二次に応募してくださる中で、制作発表の輪郭がはっきりしてくるのでしょうか。
なかなか、このような機会もないかと思いますので、ぜひ挑戦してみてください。
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出展経験作家の方からは、二回目って敷居が高い!という声を時々お聞きします。
無我夢中な一回目と違って、様子がわかっているだけにそのように思ってくださるのでしょうか。
先日、出展経験作家の方との話の中で、
「一回目のたぎる気持ちが再び沸いてきたときに・・・」
のようなやりとりがありました。
たしかに、たぎる思いっていうのもすばらしいですよね。
でも、制作を続けていく日常の中では、たぎることよりも、
火を絶やさずに適切な火加減を保っていくことも大切なんじゃないだろうか、
そんな風にも思います。
再び、みたびの出展を通して、新鮮なよき風を自らの制作に送り込んで、
弛まぬじっくりとした制作の糧にしていただけたらうれしく思います。
敷居が高いなんって思うのは、案外つまらないことではないでしょうか。
それよりも、制作への火を継いでいく機会のひとつに
ぜひ「工房からの風」を活用してみてください。
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出展経験作家の方が、未来の作り手、出展作家に向けて、
ブログやSNSで、応募をおすすめくださっています。
ありがとうございます!
インスタで#工房からの風、でこのような記事を拝見しました。
→ click
最新のところ。
たくさんの作家の方が、熱く書いてくださっていて、スタッフとともにジーンとしてしまいました。
ありがとうございます!!
そして、自分のことだけじゃないんですね。
次に続く作家への愛がある推薦文。
ひとつひとつをご紹介して感謝も申し上げられませんが、
ほかに、フェイスブックやツィッター、ブログそして、口コミでも、
出展経験作家の方々がおすすめくださっています。
素材や表現は違えど、ものを作ることのどこかできちんと通じあえること。
工房からの風への出展で、ぜひその豊かさも体験していただきたいと願っています。
応募の詳細はこちらになります。
→ click
次回開催の一次募集始まりました
第17回「工房からの風」開催のお知らせ
開催日2019年10月19日(土)20日(日)
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募集について
第一次募集期間
2018年12月1日(土)~20日(木)
50名(組)出展のうち、max25名(組)までを選出します。
年内に結果をお知らせします。
詳しくはこちらをご覧ください。
→ click
第二次募集期間
2019年2月1日(金)~27日(水)
50名(組)から一次募集で決定した人数を引いた人数を選出します。
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出展をご希望の方は、ぜひ一次への応募をおすすめします。
選出されますと、年内に出展が確定して、
新年の予定を早く組むことができます。
清々しい新年が迎えられることと思います。
また、一次選考に漏れた方も、そのことで仕事の見直しや、
プレゼンテーションを再考して、二次に応募くださる方も多いのです。
一次選考外で二次で選出される方も多いことをお知らせします。
出展したことのある作家の方々からのご応募もお待ちしています。
二回目、三回目の出展を、ものづくりの進化成長にぜひ活用ください。
工房からの風を構成するのは、魅力ある出展作家です。
2019年の工房からの風を通して、ぜひものづくりの道を
確かに進めていただけることを心より願っています。
意欲的なご応募お待ちしております。
長野麻紀子さんより
ことばひとひら
その視線が、頁をめくる指先の滑らかな動きが、いとおしさを伝えていた。これでもか、というほどに。こんな風に育まれてきたのだとおもった。誰かにとって、いとおしくて、大切で、そうっとそうっと両のてのひらの間に抱えてきた、そんなふうな。工房からの風の、ほんとうにちいさなたねだったときから、可憐に咲くいまの時代までが、わたしのなかですうっと繋がっていった。はじめからそれを見たこともないのに、ふしぎと誰かのこころに灯されたあかりのなかで、はっきりとひとつの時代を、受け継がれてきたものの核が、わたしのてのひらにぽこんとのせられていたのだった。尋ねもしないのに、溢れるようにして、そこにそれはあった。祝福のたねだった。
文庫テントにて
(トップ画像もAnima uniさんより)
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Anima uniという名で金属装身具を制作する長野麻紀子さん。
2012年に出展されて以来、翌年から風人さんを続けてくださっています。
「私は風人を通してたくさんの経験やつながりや想いをいただいたので、
他の作家にも体験いただきたいから、その席を譲りたい」
と毎回終了後におっしゃるのですが、
その都度私の方でお願いをして続けていただいてきました。
今となっては、風人さんであると同時に、その役割を超えて、
「工房からの風」を構成する大切な要素、
粒子のひとつになっていただいているのだと私は思っています。
近年の風人さんには、そのような方が数名加わってくださっています。
それは、慣れあうということではなくて、
この活動に対して「役に立つ」「ヘルプ、サポートする」ということを超えて、
自身が粒子、要素となって活動の一部になってくださっているのだと思います。
それはまさに、先日の松塚裕子さんからのブログ記事に書かれてあった
『つなぎたいと思う手があるのならば
すこしの時間であってもいい、しっかり握っていないと。』
(いしいしんじ著「ぶらんこ乗り」より)
に通じているのではないでしょうか。
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と、ご紹介を兼ねた前置きが長くなってしまいました!
すみません。
冒頭の長野さんの文章は、私宛の私信でしたので、
皆さんにはわかりにくいかもしれませんね。
でも、とても美しい文章なのでそのままお載せしました。
今回、長野さん、松塚さんに担当いただいた「文庫テント」では、
白い空間に、白い封筒が短冊のように吊られてありました。
それを見る来場者の方々の視線、
テントに置かれた小冊子の頁をめくる指先を通して感じたことを
文章に綴ってくださったのでした。
「工房からの風」の前身の活動から30年が経ちました。
きっと当初から来てくださっていたお客様もたくさん「文庫テント」に寄られたのだと思います。
その方々が話す言葉、振る舞い、佇まいから伝わってきたこと。
それを、
『はじめからそれを見たこともないのに、ふしぎと誰かのこころに灯されたあかりのなかで、はっきりとひとつの時代を、受け継がれてきたものの核が、わたしのてのひらにぽこんとのせてられていたのだった。』
と捉え、言葉に昇華させてくださいました。
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波は繰り返し寄せては返す。
強い弱いを変えながらも続いていく。
続けていく時の中には、荒ぶることも鎮まることもあって、
むしろそうだからこそ続いていくのでしょう。
そして、荒ぶる時の波も、鎮まった時の波も実は一緒の波なのだということ。
区切られたものではなく、ひとつのつながった水の流れであって、
その時々で強弱の姿を現しているのだということ。
そんなことを想います。
波頭(なみがしら)ばかりに気を取られずに、水が動いたということ自体に、
目を気持ちを向けて行きたいと思います。
動き、かきまぜられたことで、きっと濁りはほどけていくでしょう。
「工房からの風」の風は、そんな波を起こす風なのかもしれません。
すべての出展作家の方々へ、そして未来の出展作家の方々へ、
愛を持ってそう伝えたいと思います。
そして、その手から生まれる佳き果実が、
来場者の方々の喜びにつながることを願って。
2018年の「工房からの風」のdirector’s voiceはここで一旦区切りますね。
あらためて、ご来場をありがとうございました。
そして、この場を通じてお気にかけていただきました皆様に心より感謝申し上げます。
そして、次の波は、2019年第17回「工房からの風」ですね。
またぜひお会いいたしましょう。
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追記
今週末「風の余韻」展をニッケ鎮守の杜、galleryらふとで開催します。
詳しくはこちらの記事をご覧ください。
→ click
女子高生からの質問
凪ぐ浜の宝もの、あとひとつの記事で締めようと思ったのですが、
ちょっと愉しい?メールをいただいたので、ご紹介します。
以前出展された作家の方より。
一部転載許可をいただきましたが、一応お名前は伏せておきますね。
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出展した時、2日目の終わりギリギリに、女子高生に話しかけられました。
とても真面目そうな女の子で
「なぜ、ユニクロとか、百円ショップとか、
安いものが売れている時代にこのようなことをしているのですか?
何か世の中に伝えたいことがあるのですか?
たとえば手作りの良さとか?」
と、質問されました。
内心、おおう、えらいこっちゃと思いましたが、
きちんとお応えしようと思い考えたのですが
その時のわたしには
「生きるためにやっているのかなぁ」
と言うことしか浮かびませんでした。
作りたくてたまらないから作っている、が原点。
もの作りが無い生活は考えられない。
趣味では無く、生業としているということ。
大変なこともあるけれどやめたくない。
世の中に手作りの良さを伝えたいと思って活動しているのとはちょっと違う・・
などお話したように思います。
「マルテの手記」のお話を読んで、この出来事をふと思い出しました
女子高生には夢を叶えるにはどうしたら良いか、
挫折したらどうすれば良いか?などその後も色々質問されました(笑
元気でいるかなぁと時々思い出します 。
:::
「いいわねー、好きなことやっていて」
どこか上から目線的に(笑)こんな風に言われることって、
作り手は案外慣れているんですよね。
でも、これからの進路を真剣に考える高校生からこのように言われるのは、
とっても刺激的だったのではないでしょうか。
だって、作家の姿を、我がこととして捉えての質問ですものね。
『女子高生のエピソード、良かったら是非ブログに転載してください。
わたしにとっても印象深い出来事でした。
彼女は小説家になりたいと言っていました』
転載許可をくださった作家からのメールにはこのように書かれてもいました。
小説家、というのも、なんとも「工房からの風」らしいなぁと思ってみたり。
年に2日。
鎮守の杜で、夢を叶えた、夢を追っている作り手たちが集う場に、
夢を描く若いひとが吸い寄せられたのだとしたら、
それもとっても豊かなことだなぁと思ったのでした。
松塚裕子さんより
凪ぐ浜の宝もの、数日お休みしておりました。
訪ねてくださっていましたらすみません。
大きな波が引いて、いつしか日常のあれこれ、業務が始まり、
鎮まった浜辺での、宝もの拾いのよう時間が失せていくんですね。
少し寂しいけれど、次への風を生んでいく準備の時間が始まったのでしょう。
前に進んでいこうと思います。
出展作家からいただいたメッセージの公開はここまでとして、
あと二回、風人さんからいただいたメッセージの一部をご紹介して、
今年の凪ぐ浜での宝もの探しを閉じようと思います。
:::
今年、文庫テント、という空間を創りました。
工房からの風の前身の活動時から続けてきた冊子作りを通して、
作ることと言葉の営みを感じていただくテントです。
私から長野麻紀子さん(Anima uni)と、松塚裕子さんに担当をお願いしました。
この短冊のような白く下がっているものは、
風人さんたちがものづくりに寄せた言葉の数々。
それを長野さんがすべてミシンで縫って封筒にしてくださったのでした。
美しさには愛が宿っていました。
(この展示は、11月3日4日のgalleryらふと「風の余韻」で再構成します。
ぜひ、見にいらしてください。)
これら以前に編んだ小冊子をチャリティー販売しましたら、
予想をはるかに超えてお選びいただいたのでした。
皆さん、作り手の言葉に触れることをとても望んでくださいました。
文庫テントで、長野さんと松塚さんに、
工房からの風のこと、小冊子のことなど、
熱く語ってくださった以前からのこの活動のファンの方々。
おふたりを通じて、そのお気持ち、伝わっています。
ありがとうございます。
すべての風人さんが、無私の心で出展作家や来場者の方々、
そして私たち企画者にまで心を注いで
「工房からの風」にま向かってくださいました。
どの企画テントや担当もすべて心のこもった運営がなされて、
そのことが「工房からの風」を豊かにしてくれていたんですね。
あらためて、この場からもこの縁の下の力持ち風人さんにお礼を申し上げます。
文庫テント担当の松塚裕子さんから寄せられた文章
(松塚さんのブログ)から、許可をいただき、
一部を転載させていただきますね。
:::
いしいしんじさんの、ぶらんこ乗りにでてくる一説がぽかっとうかんでくる。
サーカスのぶらんこ乗りの夫婦の話のところ。
―わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね
―ぶらんこのりだからな
ずっとゆれているのがうんめいさ。
けどどうだい、すこしだけでもこうして
おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、
すてきなこととおもうんだよ
・・・
工房からの風がおわって、一週間。
思うことはたくさんあったはずなのに、思考が宙をさまよったまま、
なかなか言葉がでてこなかった。
洗濯だの掃除だの制作だの寝かしつけだのをとにかくめいいっぱい
繰り返す日々のなかで、昨日あたりほんとうにぽかっと思い出した。
ああ、そうだよなあ、こういうことだよなあ、と。
ようやくすこしすっきりする。
いつまでもずっと、てのは何事においても絶対にない。
ほんとうに手をつなぎたいときに
もうその手はなくなっていることだってある。
つなぎたいと思う手があるのならば
すこしの時間であってもいい、しっかり握っていないと。
ぶらんこ乗りは、生きているってこと、そのものだよなと思う。
:::
たとえばそれが「工房からの風」という場の出来事であれば、
出会って真剣に関わりたい、と思ったのなら、
しっかり手を握ってみる。
ずっと握っていることなんてできないのだから、握るのなら真剣に。
人と出会うって、生きているって、こういうことじゃないかな。
と松塚さんの文章から気づかされる。
惜しみなく。
すべてにそれはできないのかもしれないけれど、
そうせざるをえないことと巡り合えたとしたら、
迷わず惜しみなくできるといい。
幸せの濃さってそういうことだ。
けちにならない。
そう、多くのすばらしいものづくりに共通するのは
けちじゃないということ。
だからこそ、人の心に響く、打つものを作り出せるのではないか。
そんなことを思うのでした。
出展作家の中で、もし悔いが残る人がいたとしたら、
あなたは惜しみなくま向かったでしょうか。
そう問うたとしたら、それは厳しすぎるでしょうか。
小さな反省などの前に、小さなけちにならずに、
惜しみなく向かったらいいのだと、愛を持って伝えたい。
たくさんの手ごたえと感謝のメールの中に、
やりきれなかったことを悔いるものも交じります。
いや、それ以前に、無事戻りました、と
ひとこと返せない作家のことを想います。
今回はすでに終わったこと。
でも、ぜひこれからの時間の中で、作る仕事を選んだことを、
しっかりと握って進んでほしいと思っています。
・・と、えらそうなことを書きましたけれど、
私自身反省がいっぱい。
惜しみなくやれた、といいきれることもあるけれど、
やれなかったなぁと思うことも多々。
特に、出会った49組の作家の想いをちゃんと握りしめられたか、
といえばとても全員には出来なかった。
「それはしかたないんじゃない、当然だよ」
と言ってくれる声が聞こえてくるけれど、
そうじゃないって、松塚さんの文章、
いしいしんじさんの文章を読んで思いました。
すこしだけでもこうして
おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、
すてきなこととおもうんだよ
こんな思いを底において、爽やかに次に向かって進みたいと思います。
次回の応募も12月1日から始まりますものね。
凪ぐ浜の宝もの、次の長野麻紀子さんからのメッセージを持って閉じますね。
三原なぎさんより
「マルテの手記」の話題、出展作家からのメールに触れられていることがとても多いです。
その中で、二者択一的に捉えてしまうともったいない、
と思う節があります。
私の書き方がそう思わせてしまっていたらごめんなさい。
ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと
と、
ものを作っている時間こそ天国と思えるひと
と、書きましたものね、私。
言わずもがなとも思いますが、どちらかを選ぶということではありません。
特に「仕事」「職業」としてものをつくるひとは、
作っている時間が天国であればそれで成り立つわけもありません。
作ったことで返ってくるものを期待することが
よこしまなことだなんて、どなたも思いはしないでしょう。
:::
硝子作家の三原なぎさんよりメールをいただきました。
ご許可をいただきましたので、一部を転載させていただきますね。
:::
・・・
・・・
私はやっと心のざわつきが落ち着き始め、
稲垣さんのブログの括りにもある凪がやってきた所です。
出展後のブログ、拝見致しました。
非常に複雑な思いです。
『作っている時こそが天国』。
ドキっとしました。
私は『自分で作って楽しい、使って楽しい作品を』と一回目のミーティングで話したのですが、
今振り返ると無意識のうちに少しズレがでてきていたと思います。
と言いますのも、日が近づくにつれてどう周りの出店者方に見劣りしないか、
訪れて頂いた方にどのくらい私の作品を伝えられるかばかり考えてしまって。
一番大切な作品達が少し置いてけぼりになってしまったのではないかと思うのです。
なんてかわいそうなことをしたかと思います。
ただ、その中で手にとって頂いた方がいる事に幸せを感じているのは確かです。
では、私は作っている時ではなく、発表することよって天国と感じる側なのか?
私の様な経験の浅い作家が直ぐに答えを出せる問いではないです。
作っている時間は本当に天国です。
素材に触れている時間はとってもハイになります。
ですがいろんな先輩方に『売れないとただの趣味になって終わり』
『作品の良し悪しも大事だけど売る事が上手じゃないと今の時代やっていけない』
と現実的な事も言われました。
その為には先ずは発表の場をつくる。
作ってご覧頂いた方々の反応を見る。
反応によっては改良を加える。
皆さんどのようにバランスをとっているのでしょうか…
もちろん自身で作っている時間が天国に感じる作品が、
きちんとお客様に素直に伝わり、還元されてまた作品の糧になる。
それが理想です。
作って満足、では成り立ちません。
きっと稲垣さんが伝えたいこととは少しずれているとは承知しておりますが、
私が悶々と頭の中を駆け巡っていたのはこんな事です。
答えが出ない…
もっと経験をして、素材と取り組み、遠くない未来に心にストンと落ちる答えを見つけたいです。
ただ一つ、今回出展をさせていただかないとここまで深く自分と対話する事もなかったと思います。
作品達を見つめ直すという事もありませんでした。
今の私に必要な半年間でした。
・・・
・・・
:::
なぎさん。
凪ぐ浜の宝もの、にぴったりの素敵なお名前ですね。
↑ の藍色のシリーズ、器もとてもきれいでした。
吹きガラスは、経済という点では制作がとっても大変ですよね。
そこをどうにかしてあげることはできないけれど、
心持ちの部分では、開催前にもっとお話しができたらよかったと思っています。
天国の件は、二者択一ではなくて、
まずは作っていることに深い喜びがないひとを、
私は応援する術がないと思ったのでした。
そして、趣味ではないから、そのうえでどう継続させていくか。
ここは30年そのこととかかわってきましたので、
模範解答はないけれど、模索はずっと続けてきて、
答えもそれなりに出てきたからこそ、私も継続出来てきたと思っています。
まずは、なぎさんが今、作っていて喜びがあり、
お客様の心にも響く作品を確実に作って、選んでいただき、
ものづくりの原資を作ることが大切なような気がします。
その原資をもとに、冒険、チャレンジをしていく。
先輩方がおっしゃることも、結局はそういうことのような気がします。
まずは、社会とちゃんと握手できる作品展開をしながら、
そのよろこびを糧に、前進していく。
うまく書けないけれど、そんなことを思います。
今、この時代にこの日本で工藝にまつわるものづくりをすること。
と考えると、作ること自体に喜びを見いだせないのに、
ものをつくって発表することで天国に行こうとするのは、
かなり難しそうですね。
少なくとも私はそう思っているので、それを応援する力がないですかね。
けれど、ものを作っている時間こそ天国と思えるひと、
作ったものに天国があると思えるひとの仕事の中には、
精一杯伝える努力をしていきたいものがある。
と、あらためて思うのでした。
なぎさんが率直なメールをくださったこと(そして掲載を許可くださったこと)で、
同じようにもやもやしていた方に少しは霧が晴れたでしょうか。
進化したなぎさんの制作、楽しみにお待ちしています。
Chizucaさんから
草木で染めた糸で編んだ装身具を制作するChizucaさん。
おりひめ神社の奥で展示をしてくださっていましたね。
Chizucaさんからのメール、一部転載の許可をいただきましたので、
ご紹介いたします。
:::
・・・
・・・
マルテの手記は私自身がレース糸を編んでいることもあり、
とても心に響き、数日間想いを巡らせました。
きっと、マルテの見たレースの編み目は、
とても美しく整っていたに違いないとまず感じました。
糸を編んでいるとき、心は穏やかな海のような静けさになります。
心が乱れているときには編み目もなぜだか不揃いになります。
それでも編み続けていると、
心は静寂を取り戻し、編み目も心の平穏と共に整ってきます。
編み目に心の機微が現れるのです。
自分の指と、糸とがリズムを刻むように動き、
いつまでも手を動かしていたい衝動に駆られます。
手を動かすことで、心の曇りもいつしか晴れ渡り、
澄んだ風が吹き抜けていく…
そんな幸福な瞬間をいつまでも感じていたいので、
私は作り続けています。
そして、その幸福な瞬間・豊かな時間を、
誰かと共有したくて作品を発表しているのかもしれません。
そういう意味では、作ることそのものも天国ですが、
想いを共有できたとき、伝えたい人に届いた瞬間も充実した時間の一つです。
(それが天国?かどうかまでは正直わかりません…)
また、想いを共有できた人との交流や、
ものづくりを通して広がる輪も、かけがえのない大切なものです。
作ることで心豊かになることを伝えたい。
そう思って始めた制作活動ですが、
作ることがいつのまにか作業になり、作品を商品として扱われていく…
そんなことに疑問を感じ、
方向性に迷っていたタイミングで工房からの風に応募しました。
応募するとき、そして、出展が決まってからの半年間と、
自分に向き合わなかった日がないくらいでした。
・・・
・・・
それから、吉田さんの考察での一文。
「自分の身体や言葉より、
時に作品の方がその人自身を本当に語るものになる。」
以前、作品そのままのような子ね。と言ってくださった方がいました。
その時の私には意味がわかりませんでしたが、
吉田さんの考察を読んで、賞賛だったことに気づきました。
賞賛をくださった方に恥じない、自分でありたい。
恥じない、もの作りをしていきたい。
そう、心が決まりました。
これからの道のりで迷ったとき、
ぶれそうになった時には、
工房からの風で見た、森の中の木漏れ日を思い出したいです。
工房からの風は、第二の学校のような場所でもありました。
たくさんの温かな人と出会える場所。
大人になるにつれ忘れかけていた、
目に見えない大切なものを取り戻せました。
作ることでしか自分を表現できない私にとっては、
工房からの風を通して過ごした時間はまるで天国のようでした。
かけがえのない実りをありがとうございました!
やり切れなくて悔いの残ることが多いので、
自分がもう一歩成長できたとき、再挑戦させてください。
:::
Chizucaさん、ありがとうございます。
編む仕事の部分もあるChizucaさんには殊に響いた部分もあったことと思います。
作る時間と伝える時間、そのどちらもが豊かであってほしいですよね。
時に思うようにばかリいかないこともありますが、
それでも忘れたくない大事なことに焦点を当てながら進むことが、
続けることには大切なような気がします。
自分がなにより自分を認め、励ましてあげること。
そして、今回のよき出会いの中で得た人との輪の中で、
他者をほんとうの意味で励ますことにできるひとであれたなら。
そんなことを思うのでした。
Chizucaさんは、お庭の手入れにも来てくださる方。
ぜひまた、お庭でお会いいたしましょう。
凪ぐ浜の宝もの、続きます。
11/3 (土)・4 (日) 風の余韻
11月の最初の土日。
ニッケ鎮守の杜「galleryらふと」で、
展示販売とワークショップ、デモンストレーションを行います。
「風の余韻」
稲垣、宇佐美は両日詰めておりますので、今年の余韻、
そして、来年以降の楽しいサクセンカイギ!
などなど、お話しもいろいろしたいと願っています。
紅葉の進んだお庭にぜひお出かけくださいませ。
11/3(土)・4(日)
galleryらふとにて、
今年度工房からの風を豊かに膨らませてくださった風人さんから、
一部作家の作品展とワークショップ『風の余韻』を開催します。
Exhibition
galleryらふと 11:00〜17:00
アトリエ倭 木・ちりとり
CHIAKI KAWASAKI 金属装身具
nagamori chika 染織ストール・バッグ
フクシマアズサ 箒
森 友見子 再生紙
RIRI TEXTILE 染織ストール
+
庭の本 風
Workshop 大人対象(中学生以上)
galleryらふと前テント
「素材の学校」から、
大人もつくりたい!というリクエストにお応えして二つのワークショップを開きます。
■11/3(土)・4(日)
『たたいてつくる!打ち込み象嵌キーホルダー』
講師:CHIAKI KAWASAKI
時間:11:00〜12:00/13:00〜14:00/15:00〜16:00
定員:各6名様 参加費:2,000円
アルミの板の上に銅や真鍮、鉄などの小さなパーツをならべ、
金鎚でたたき込むとあら不思議!バラバラだったパーツが板に埋め込まれます。
ひもをつけてキーホルダーに仕上げます。
■11/4(日)
『綿から作るふしぎの実』
講師:磯 敦子
時間:11:00〜12:00/13:00〜14:00/15:00〜16:00
定員:各6名様 参加費:2,000円
綿から糸へ、糸から布を。
織って実ったふしぎの実。
ふわふわ綿の糸を木枠で織ってつくります。
●ワークショップご参加受付について●
10/22(月)10:00〜
HP お申し込みフォームから事前ご予約を承ります。
ご希望のワークショップ名と日にち、時間、お名前、お電話番号、
お書きのうえ、お申し込みください。
尚、当日枠がある場合は、その場でご参加を承ります。
Demonstration
11/3(土)フクシマアズサ
『ハマグリほうきを編む(草の仕分けから、仕上げまで)』
11:00〜16:00
途中お昼休憩あり
Installetion
工房からの風の「文庫テント」から、
風人さんたちから寄せられた「言葉」のインスタレーションが再び現れます。
「冊子/工房からの風」「小屋の音」のチャリティも継続して行います。
バックナンバー 1セット500円。
いただいた金額を、公益社団法人企業メセナ協議会の
GBFund(G:芸術、B:文化、F:復興/ファンド)に全額寄付させていただきます。
深まる秋の庭で、思い思いの風の余韻をご一緒できますように。
ご来園!そしてご来館をお待ちしております。
加賀雅之さんより
岡山県から出展くださった加賀雅之さんから届いたメールをご紹介いたします。
:::
昨日の夜、美作の古家に戻りました。
道中の車内で「マルテの手記」を拝読し、長い時間妻とたくさん話しました。
前回出展した時との変化や、今回の気の持ちよう、終わった後に感じたもの、
これからのことになどについて。
前回出展させて頂いた時の僕は、
憧れた作家さんと同じ舞台に立てる高揚感に
まさに浮き足だっていたように思います。
そして稲垣さんのおっしゃる通り、期待ばかりが大きくなっていた。
今回もやはり期待するものや求めている答えはあって、
でも前回と異なるのは「誰か」に求めるのではなく、
「自分」で感じ取るのだという意識が強くあったこと。
「ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと」と
「ものをつくっている時間こそ天国と思えるひと」という考察、
とても興味深く、ストンと腑に落ちるものでした。
我がままかも知れませんが、
「僕はその両方を味わいたい」というのが正直なところです。
ただ長くつくり続けていくと最初ほどの「楽しさ」が薄らいでゆく感覚は常にあって、
自身の「定番品」との付き合い方に答えが見出せずにいました。
夢中になってつくったものを気に入って買ってくださった時の感動、感謝。
それもやはりつくり手冥利に尽きる瞬間だと思うし、
そう考えるとある種のルーチンの中で、
いわば機械的につくり出したものを世に出すことに罪悪感を感じない訳でもありません。
結局答えを見出せないまま、腹を括りきれないまま、
これまでの定番品と一緒に新たな試みを披露する場として、
今回の「工房からの風」に臨みました。
そこにきての「マルテの手記」です。
言い方は良くないのかも知れませんが、これからはもっと自分勝手に、
もっと我がままにやってみようと思います。
自分自身が感じる「賞味期限」みたいなものに正直にあろうと思います。
より「新鮮」で、思いの溢れたものを世に出してゆこうと思います。
僕の場合、この結論にたどり着くまでたっぷり5年かかりました。
1年で気付く人もいれば、10年かかる人もいるだろうけれど、僕の場合は5年でした。
でも変に空気や時代を読んでたどり着いたのではなく、とことん手を動かし続けて、
悩みながら、考えながらものづくりを続けた結果たどり着くことのできたこの答えに
今は清々しい気持ちでとても満足しています。
稲垣さんが僕のブースに寄ってくださった時、新作の樹の形状に沿ったお皿について
「あからさまじゃないのが良いねー」「新境地だね」とおっしゃってくださったのが
とても印象的で、今も暖かく胸に残っています。
思った通りにとことんやってみた結果、ようやく思い通りにはいかないことを知る。
でも、だとしても、そのプロセスにこそ本当の価値があるように感じてなりません。
改めて自分の歩くスピードと感性を信じて、惑うことなく
これからもマイペースで進んでいこうと思います。
今、このタイミングで出展できて本当に良かった。
前回同様、今回も心からそう思っています。
加賀さん、ありがとうございます。
加賀さんは、まじめで率直な方。
いつも目的や意義を大切に考えていらっしゃいます。
5年前、初めて出展された後に、あまりよい手応えを得られなかったのでしょうか、
寄せてくださった感想はどこか後悔が滲み出ていた印象でした。
私なりに意見はありましたが、特にお伝えしないままに5年が経ち、
再び応募をしてくださって、今回になったのでした。
上記文中で「新作の樹の形状に沿ったお皿」と書かれた木の器、
これがとってもよかったのです。
(私は勝手に「木なりの器」と呼んでおりましたが、
今、加賀さんのブログを確認しましたら、
「キカクガイ」というシリーズなのですね!)
手元に巡ってきた素材に応じて、規格通りのサイズに作りこまず、
加賀さんが美しいと思える形の整えながらも、
ひとつずつ微妙に大きな形状が異なる器。
一見規格通り!なくらいすっきりとしていて、
これみよがしの手作り感はなくて、
素材そのものの形状と作者の感覚が握手して生まれたようなフォルム。
まじめ!な加賀さんが辿り着いた自在なかたちが、とっても気持ちよかったのです。
天国の話。
「僕はその両方を味わいたい」
と思うのは加賀さんならではの正直なコメントですね。
そして、そのことについてご夫婦で語り合う時間が、
「工房からの風」からの帰路であったこと。
とてもうれしく思ったのでした。
出展してよかった!
という結果の方ばかりではなく、幾ばくかの悔いも糧として、
じっくり進化成長されてのち、再び「工房からの風」に出展くださる作り手がいる。
加賀さんのような関わり方をしてくださる方が、
この場を豊かにしてくれるのだと思っています。
凪ぐ浜の宝もの、まだ続きます。
吉田慎司さんより
「マルテの手記」をブログにあげた直後、
風人の吉田慎司さんがフェイスブックにこのことについて、
記事をあげてくださいました。
転載の許可をいただきましたので、こちらからも。
私が引いたものが、光文社古典新訳文庫 松永美穂訳だったのですが、
鞍田さんが読まれたものは、岩波文庫 望月市恵訳
ほかにも新潮文庫 大山定一訳 などもあって、
天国のある表現がさまざまだったことからの考察もあります。
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これはいい話!当日聞けなかったけど、エッセンスだけでも聞けて嬉しい。
稲垣さんの読解、間違いない。
個人的には、前者の訳もありだと思いました!
一文目
作る人は、魂、背負って来たもの、自ら築き上げたもの、命を作品にするものなので、作品の中にあなたが生きていますね。
というのはすごい賞賛なんじゃないかと思う。
自分の身体や言葉より、時に作品の方がその人自身を本当に語るものになる。
と解釈しました。
二文目
僕達が本当に満足出来る1つを作れるとしたら、それは人や世界を豊かにするもので、先人への絶え間ない敬意で、世界へ送り出した、自分の出した命としての答え。
結晶なんだと思います。
もちろん満足しなくて、まだ先があると思って作り続ける訳だけど、永遠に揺るぎない結晶があるとしたら。
その作品と、自分の心が1つになっているとしたら、それは本当に幸せ、形になった天国だと思います。
作りながら、いつも作品と1つになって、その結晶の雫、先端にいつも触れているとしら、作っている時が天国。
とすると、後者の訳かなと解釈しました。
自分は、かっこいい職人さんをみて、いま世界に必要な答えはこれだ。って思ったし、
熟練の職人さんは本当に、本人より仕事が先立って仕事と一体化している所があって、すごく民藝に繋がる話だと思いました。
リルケ素敵、とは聞いていましたが、めちゃめちゃいいですね!
読んでないので、今度読んでみよう。
(もっと気になったら、原著にあたろうと思います 笑)
※鞍田さん、稲垣さん、工房からの風の興奮冷めやらないベストタイミングだったので、便乗してしまってすみません。
しかも、違う意見を提出するという本当に素敵な話。
この意識が来場の皆さん、作家さん、未来の作家さんに伝わっていくと考えると、風人冥利に尽きます!
誠に、ありがとうございました!!!
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作っているときこそが天国
作ったものに天国がある
いずれにしても、作っている時間、作ったもの、そのものが天国であって、
作ることで、作ったもので天国に行きたいと願うこととの違いを描いているのですね。
ぞくぞく、作家の方から「マルテの手記」にちなんだメール、届いています。
マルテの手記・その後
前回のブログ記事、「マルテの手記」への反響が驚くほどあって、
作家の方々からたくさんのメールをいただいています。
ファイスブックの方でも、鞍田崇さん、箒の吉田慎司さんがそれぞれにあげてくださって、
その場を通じてもいろいろな感想が広がっているようです。
毎年、「工房からの風」終了後に、「凪ぐ浜の宝もの」
とうくくりで、ブログをあげています。
終了後に私宛に届く作家からのメールの中から、
皆さんと共有したいと思うものを、
書き手から許可をいただき、その一部をここの転載しています。
二日間という大波が引いて、鎮まった浜辺のような心には、
どんな宝物が見つかるのでしょう。
それを綴りながら、2018年の工房からの風をゆっくりと閉じて、
2019年の工房からの風に向かいたいと思います。
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第一回目は、匿名とさせていただきますね。
というのも、今年の出展作家ではなく、数年前に出られた方からのものなので。
ご家族の事情があって、少し制作から遠のいていらしたのですが、
また制作を再開させるにあたって、久しぶりに訪ねてくださったのでした。
一部転載のお許しをいただきましたので、お書きしますね。
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しっかりとご挨拶もできず申し訳ありません。
『工房からの風』よかったです。
懐かしさと同時に恥ずかしい感じも少ししました。
母校を訪ねる出来の悪かった生徒の気持ちでした。
いろいろありましたが、少し落ち着き、
さて振り出しに戻って気持ちを整理しようと思い、
今年久しぶりに会場を訪れました。
確かに原点がありました。
自分が出展した場所。
風人の皆さんにも会えました。
自分が出発した原点となる場所はやっぱりここだなと思いました。
そして今日、気持ちの原点も見つけました。
稲垣さんが書かれたディレクターズ・ボイス。
制作を始めた当時さんざん周りから『この先どうするの?』と聞かれ、
『先? 先は先にあるのではなくて今ここにあるんだけど……』と
心の中でつぶやいていました。
もちろん一人で生きているわけではないし、自分勝手ではいけませんが、
やっぱり自分にとっては『作っている時間こそ天国』。
心の一番手前にある言葉。これは譲れない。
自分は楽しくて夢中になれるこの時間がとても愛おしいです。
しばらく休んでいたので車輪を回すのが大変ですが
少しずつまた制作を始めていこうと思います。
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出来の悪かった生徒だなんて!
そんなことちっともなくて、この方のことは、とても気になっていたのです。
どんなに素敵な作品を作っていても、
さまざまな事情で制作を中断せざるを得ないこともあります。
けれど、作ることが人生から外せない人は、必ずそこに戻ってくる。
その戻った時に、原点と思ってもらえる場になれているとしたら、
企画者冥利につきますし、いや、そんなちっぽけな冥利より何より、
工房からの風がそんな場であってよかった、続けてきてよかった。
そう心から思ったのでした。
鞍田崇さんとのトークイベントの中で出たこの
リルケの「マルテの手記」のお話し。
出展者を中心に、展覧会後に、多くの方が自身の想いを束ねる、
心の焦点のようになっているようです。
知っていることを伝える一方向からのトークイベントではなく、
トークイベント自体が、この活動の、ものづくりの耕しになってほしいと
願ってお願いしましたが、こうやってやり取りができることが、
まさに耕しになっているように思います。
鞍田さん、そして、それを受け取ってくださった方々に心から感謝いたします。
凪ぐ浜の宝もの
しばらく続きます。
マルテの手記
第16回「工房からの風」終了いたしました。
初日午後、ほんの一瞬、降ってるかな?みたいな雨がありましたが、
あとは秋曇りの二日間に恵まれました。
日曜日午後には晴れ間も出て、作品に木漏れ日が揺れ、
ああ、このシーンを皆さんと共有したかったんだ!
と喜びに包まれました。
今回もたくさんのご来場をいただきました。
心より御礼申し上げます。
賑やかで和やか。
工房からの風ならではのお客様が作り出すこの空気感。
作り手、使い手、つなぎ手が結び合って生まれるこの雰囲気を愛してくださる方が
こんなにいてくださることは、企画者としてほんとうに励みになります。
ありがとうございます。
第17回への応募についてもお問い合わせをいただいております。
10月開催を予定しておりますが、日程を最終調整中ですので、
決定次第こちらからお知らせさせていただきます。
:::
「このレースを編んだ人たちはきっと天国へ行ったよね」
と僕は感嘆しつつ言った。
しばらくして、僕がもう忘れてしまった時、ママンはゆっくり言った。
「天国へ?その人たちはみんな、このレースの中にいると思うわ。
そう思って見ると、これは本当に永遠の幸せかもしれないのよ。」
『マルテの手記 (光文社古典新訳文庫)』(リルケ, 松永 美穂 著)
ここからは、企画者のちょっと生々しい想いです。
ふんわり心地よい工房からの風、ありがとう!
作り手っていいよねー、という感じで終了する方が
ご挨拶としてはよいのかもしれませんが、
今日は今の想いをなるべく正確にここに書き残し、
響く方と共有することで、次への耕しとしたいと思います。
なので、ご興味のない方は、どうぞスルーしてくださいね。
上に引いた一文は、鞍田崇さんとのトークイベントで出てきたお話しから。
ライナー・マリア・リルケの小説『マルテの手記』の一節です。
デンマーク出身の青年詩人マルテが、パリで孤独な生活を送りながら
街や人々、芸術、自身の思い出などについて書かれたもの。
ママンの思い出をつづる一節。
素晴らしいレース編みを見た少年が
「このレースを編んだ人たちはきっと天国へ行ったよね」
とママンに言うと、その言葉にはすぐには答えず、
しばらくしてから、
「このレースを編んだ人たちは、このレースの中にいる」
というくだりです。
上に引いたのは、光文社古典新訳文庫の松永美穂さんの訳なので、
鞍田さんが読まれた訳本とはちょっと表現が違っていて、
鞍田さんのお話では、
「レースを編んだから天国に行くのではなくて、
このレースを編んでいる時こそが天国なのよ」
と話してくださいました。
そして、そのお話しがとてもとても響いたのでした。
ものをつくっている時こそが天国であって、
天国に行くために作っているのではない。
ということに。
「工房からの風」は、回を重ねて大きな展覧会に育てていただきました。
それに応じて、出展作家もこの場に対しての期待が大きくなっているのだと思います。
ここに出たら作家としてデビューできる?
ここに出たら有名になれる??
ここに出たら人気作家になれる???
役割上、作家が仕事としてこれをどのように立たせていくかを話しあう機会も増えてきました。
その中で、共感しあえる時と、何とも言えない違和感のある時が生まれるときがあります。
それがなんなんだろう、、、とずっと思ってきましたが、
鞍田さんとの話の中で、その答えの糸口を見たように思ったのでした。
ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと
と、
ものを作っている時間こそ天国と思えるひと
どちらの方がよいとか正しいという話ではないのです。
私は「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
に惹かれる、ということです。
そういう人やものを紹介するために、この役割を尽くしたい、
さまざまな困難があっても、そう思えるからこの役割を続けているのだ、
そう気づかされたのでした。
会が成熟することで、
「ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと」
のパッションが強くなって来ているのかもしれません。
でも、その方向に歩を進めれば、ここでいう「ものづくり」
工藝、手仕事が果たして必要なのだろうか?
そんなことも思います。
結果を想定して、そこに向かう。
その過程として「作る行為」がある。
工業化が進む中で、作る行為は過程にしか過ぎなくなりました。
しかし、その過程に天国を見出す人たちが発する何かに感応する人たちがいる。
工房からの風に来場くださるたくさんの方々の中には、
意識せずとも、このように感じてくださっている方が多いのではないか。
そんな雲を掴むような感覚を大切に思いながら、
次の企画に生かしていきたいと思うのです。
「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
が、心安らかにものを作り続けていけるように。
そして、こうして作られたものや想いを
愛おしく求めるひとにちゃんと伝わるように。
次回の募集を前に、少し手垢がついてきたかもしれない
募集要項やコンセプトを磨き直したい。
そんなことを深く感じたのでした。
:::
トークイベントにお越しいただいた鞍田崇さん、ありがとうございました!
そして、ここまで読んでくださった方にもお礼を申し上げます。
寝不足の頭でざっくりとした書き方でちゃんとお伝えできているか心配もありますが、
新鮮なうちに、メモ的ではありますが、ここに記します。
次回出展作家は
「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
で構成したいと希っています。
追記
鞍田さんが、読まれた岩波文庫の該当文章を送ってくださいました。
作っている時間が天国、
作ったものそのものが天国、
ニュアンスはちょっと違いますが、いずれ結果ありきではないところですね。
Facebookでは、箒の吉田慎司さんが、鞍田さんと私のやり取りを通して、
考察をしてくださいました。
一部、転載いたしますね。
個人的には、前者の訳もありだと思いました!
<その人たちはみんな、このレースの中にいる。
これは本当に永遠の幸せかもしれない。>
一文目
作る人は、魂、背負って来たもの、自ら築き上げたもの、
命を作品にするものなので、作品の中にあなたが生きていますね。
というのはすごい賞賛なんじゃないかと思う。
自分の身体や言葉より、時に作品の方が
その人自身を本当に語るものになる。と解釈しました。
二文目
僕達が本当に満足出来る1つを作れるとしたら、
それは人や世界を豊かにするもので、
先人への絶え間ない敬意で、世界へ送り出した、
自分の出した命としての答え。結晶なんだと思います。
もちろん満足しなくて、まだ先があると思って作り続ける訳だけど…
永遠に揺るぎない結晶があるとしたら。
その作品と、自分の心が1つになっているとしたら、
それは本当に幸せ、形になった天国だと思います。
作りながら、いつも作品と1つになって、
その結晶の雫、先端にいつも触れているとしら、
作っている時が天国。とすると、後者の訳かなと解釈しました。
自分は、かっこいい職人さんをみて、
いま世界に必要な答えはこれだ。って思ったし、
熟練の職人さんは本当に、本人より仕事が先立って仕事と一体化している所があって、
すごく民藝に繋がる話だと思いました。
:::
他にも、早速感想メールを下さる方が短時間に続き・・・。
響いてくださる作家も多いんだと、励まされたりしています。
私が励ます側なのですよね。。
でも、一方通行ではなく、循環ということで、想いの交感していきたいと思います。
ではひとまず。。
片付けに戻ります・・。